天皇誕生日と昭和の日

最近、あまり何も書いておりません。ウェブの研究(?)も少しお休みしています。

4月29日は昭和の日でしたので、昭和記念公園(この日は入場無料と聞いた)に行って花でも見ようかと思ったのですが、日和って井の頭公園にいたしました。

昭和の日

昭和の日は2007年開始の祝日ですが、昭和初期の天長節、その後の天皇誕生日、平成に入ってからはみどりの日と名称を変えていた日であります。「昭和記念日」となりそうであったところを「昭和の日」として祝日化したのが数年前。

明治初期から戦前(厳密には戦後すぐも)は、天皇誕生日を「天長節」と呼び、その日が祝日となりました。(大正時代は「天長節」と別個に「天長節祝日」がありましたが、例外です。)また、前代の天皇の亡くなった日を「○○天皇祭」として祭日としていました。

ただし、明治天皇誕生日の11月3日のみは、「明治節」として祝日となりました。この日は現在の文化の日ですが、「日本国憲法公布の日」として祝日化されております。(憲法記念日は既に施行の5月3日に存在しますから、これは明治節の復活という意味合いが濃いでしょう。)

皇族の誕生日

天皇誕生日」は現在は12月23日ですが、天皇陛下は永遠の命をもっているわけではありませんので、この日は将来的に変更される可能性があります。具体的にどのようになるのかを見てみましょう。

上から順に現在の皇位継承の順位となっています。ちなみに、愛子内親王(12月1日)、眞子内親王(10月23日)、佳子内親王(12月29日)となりますから、特に上位のあたりは皇室典範改正で女帝が可能となれば天皇誕生日の可能性が高まります。

継承順位下位の方々

継承順位で下位の方々をご存じでない方もいらっしゃると思いますので簡単に説明しますと、正仁親王は独立して常陸宮をもっており、今上天皇の弟となります。その後の三人は三笠宮系列であり、昭和天皇の末の弟である崇仁親王とその息子となります。長男が寛仁親王で、ヒゲの殿下です。最近がんの手術をしました。この方は将来三笠宮を継ぐことになりますから、独立した宮家を持っていません。弟に宜仁親王(桂宮)がおり、独立して桂宮家を持っています。病気で歩くことができません。さらに弟に憲仁親王がおり高円宮家を創設していましたが、既に亡くなっています。

で、実際問題このあたりの方々が即位する可能性は非常に低いと言えます。なぜならば、さらに年少の皇太子以下三名がおり、特に悠仁親王はまだ生まれたばかりですから、例えば100歳近い崇仁親王が即位するというのは、テロでもない限りは考えにくいのです。

将来の天皇誕生日

将来の天皇誕生日を考えてみます。たぶん、「まだ今上天皇が生きているのに、次の天皇誕生日を考えるなどはあまりよろしくない」とかあるのかもしれません。

全体的に女性皇族を含めて11月末から12月に誕生日があることが多いようですが、皇太子誕生日は2月ですので、まずは2月23日に休みが増えることとなります。その後は現在のままならば11月30日、9月6日と移動します。仮に11月にお休みができることとなれば、11月は祝日が三日ということになります。さらに皇太子家に男の子が生まれれば当然そちらになりますし、そうでなくとも皇室典範改正で愛子内親王が即位するならば12月1日となります。これは11月30日の翌日ですから、天皇誕生日の観点からは文仁親王とあまり変わりません。
いずれにしても、特に夏休みや正月休みに重なることはなさそうですが、大型連休ができることもなさそうです。

なお、天皇誕生日が新しくなったとき、それまでの天皇誕生日は廃止される前提で書いておりますが、昭和の日のように生き残る可能性もあります。しかし、祝日だらけになりますから、そういうわけにもいかないのでしょう。

なお、私が作った暦プログラムは月末に祝日がないことを前提としていました(振替休日処理)から、仮に11月30日が祝日になるとロジックを変更する必要があります。